◆ 相沢氏、吉田氏に続き第3回目は、私 茶原が担当させていただく。

  こうやってたくさんの人にメッセージを伝えれることに本当に感謝したい。
 
 
 北アルプスの山に魅せられ白馬に移り住んだ僕がスノーボードと出会い、周りの環境にも恵まれたおかげで、始めて4シーズン目にはデモンストレーターになっていた。
 振り返ればほんの数年前のような、ちょっと前とも思えるその頃の事や、今の僕の想いを素直に書き殴っていこうと思う。
  
 1昨年に自費出版した「絆」では書ききれなかった想いも含めて・・・。
 
 
 
 当時からの歴史を紐解くよう回想すると・・・。
 
 スノーボードと出会いはや16年(17年だったかな???)
 世代的には第2世代あたりになるのだろうか?白馬に住みはじめ、スノーボードを始めた頃、愛読書の書面ではちょうど初代公認プロが認定されていた。初認定のプロメンバーを雑誌で眺めては憧れ、そして「いつかは自分も絶対プロになる。」という強い思いを胸に刻んでいた。当時相沢氏もJPSTというプロサーキットでは常にトップを争う有名選手で、テレビにもたびたび出演している氏を見ては憧れていたものだった。
 
 トレーニングで筋肉武装し、自分が正しく、自分が一番だと言い聞かせ、現役バリバリで滑っていた若い時代からいつしか時が経ち、第13回目のテクニカル選で引退発表して2年以上が過ぎた。
 体力的なピークは峠を越したかもしれないが、まだまだ上達している実感がある。「上達の可能性は無限大だ」と最近思いそして実感している。 特に現役を引退してからは、より自然体で滑ることが出来ているような気がする。 自分自身では・・・。
 
 若い頃はただひたすら直線的に斜面をぶっ飛ばし滑り降りていくスタイル。 それはまるでエンジンをボアアップし、マフラーを変えひたすら加速感をむさぼる感じにも似ている。しばらくするとカーブの魅力に取り憑かれ、落下重力に逆らってまでもボードを立て、体軸を大きく傾けては深くタイトに曲がり、強烈なGを感じたがっていた。どれだけグリップさせコーナーを曲がっていくかといった強引なコーナリング時代だった。峠を攻めるライダーのように・・・。 そしてデモになってからは頭の中でイメージした事をより正確に表現出来るかといった自己コントロールの面白さにも目覚めたりしながら、その時々に自分なりのマイブームの中にいた。
 技術的にはもちろん、メンタル面でも毎年出場していたテクニカル選手権で少しずつ鍛えられていった。そういった豊富な経験が、技術と相まってワインやチーズが良質な熟成を遂げるように、若さだけではない「旨み」が自然と備わるのだろう。
 まだまだ良質な熟成を続けられるように寝るときはワインセラーにでも入ろうか(笑)
 
 
 メンタル面で鍛えられたテクニカル選手権。
 
 緊張と興奮が紙一重で交錯するエキサイティングな、いや、追い詰められたともいえるその状況の中での戦いは、否が応でも心臓の皮を分厚く、そして心臓の毛を毛深くしていってくれた。
 3日間で6,7種目を争うといったゴルフツアーにも似た競技スタイルがそれに拍車をかけた。
 
 そんな中メンタル面で大きな支えとなったのはファンの方々の応援の一言一言。 時にはプレッシャーになり、そして時には大きな追い風となったものだ。
 
 
 ご存じの通り、僕は2回目のデモ戦で7位だったか8位となり男子6名の枠から漏れ、見事落選した。
 
 レース地区大会では優勝したりしていたが、全国的には無名のアマチュアだった僕が、記念すべき第1回テクニカル戦兼デモ選で相沢氏につぎ準優勝した事でデモンストレーター認定。雑誌やビデオへの出演も相まって知名度も上がっていることを実感できた。そんな中僕は、思ってもいない出来事に舞い上がり、これまでに無かった自信を身につけることが出来た反面、自分自信を見失う道へと迷い込んでしまったのかもしれない。
 デモになったとはいえまだスノーボード歴4年そこそこの若造。やや天狗になったともいえるほど自信に満ちあふれて現地入りした第2回のテク選では、怖いもの知らずでイケイケだった前日の練習とはうって変わって、降雪量豊富だったその年の白馬とはあまりに違い、試合当日は圧雪の後がエッジでも崩れないほどの硬い雪質になり、そんな予想外の状況に歯車は徐々に狂いはじめ、自分を見失い始めるのにはそう時間はかからなかった。滑れば滑るほど焦りが僕を追い詰め、こんなはずでは無い、次の種目はきっといつもの滑りが出せるはず。そう思いながらも気づけば最終種目を終え、気がつけばあまりのふがいなさにゴールエリアで一人こっそりと涙している僕がいた。
 
 そしてあの時から僕の中で何かが弾けた。
 
 
 地道に雪の上に立ちレッスン中の低速滑走でもたくさんのベースを磨き、技術というラミッドの底辺部分からじっくりと積み重ねていた僕が、「これをやればうまくなる」的な「最新のテクニック」みたいなものを急に求めすぎていたせいなのかもしれない。
 何事も「急がば回れ」で技術的にも精神面でも、一足飛びに「最新のテクニック」を習得することはできないものだ。
 それ以来日々の過ごし方からの「積み重ね」を意識し始めた。日々そういう意識をすることによって、ファンの皆様からの「今度のデモ選頑張ってください!」一言が何よりも嬉しく、そして心強く思えるようになった。
 
 おかげさまで次のデモ選からは引退するまでデモンストレーターとして復帰し、長く活動することが出来た。失敗してもそれが経験になり成功に繋がる。それを実感してからは以前ほど失敗を恐れなくなった。デモから外れた2年間もたくさんのファンの方々がそれまでと変わらずに暖かい気持ちで見守ってくれたものだ。
 引退してから長い年月を振り返ってみても上司、同僚、先輩、お客様、ファンのみんなが支えてくれたことをつくづく思い知らされ、感謝の気持ちで一杯になる。
 
 
 我々「名滑会」のメンバーは、そういった経験をたくさん積みながらも技術、メンタル、そして人との触れあいを重ねてきたメンバー達が集まっている会だと思うのだが、「名滑会」の存在意義はスノーボードを通して、若い世代、初心者から競技者、そして生涯スポーツとして楽しみ続けていらっしゃる方々への為の環境整備なのだと思う。
 
 具体的に何を?
 
 と言われればそんなに多くのことは挙げられないが、我々メンバーが毎月書いていくコラムも、一歩踏み出すきっかけになればいいのだと思う。小さな渦が、回りの水を取り込みながらやがて大きな渦となるように、同じ気持ちを持った仲間達が地道に少しずつ続け、その結果として次世代に繋がる「何か」を具体的な形として残していきたい。
 
 
 現在僕が目指すライディングのキーワードは
 
             「自然体」
 
             と、もう一つは
 
             「調和」 である。
 
 力むことなく、抜きすぎることなく、どんな状況でも「自然体」でいて、落下に逆らわず、強引に曲げることなく、構えすぎず、雨水が流れとなり山を下って川に流れるように自然、斜面と「調和」出来るようなライディングがいつかは出来ると夢を持っている。スノーボードで学び、目標となるこのキーワードは実生活での人間関係や生き方などにも通じるものだなとつくづく感じている。 これまでもスノーボードを通じてたくさんの人生経験をさせてもらった僕は、今後も末永くライディングを続けながらも生き方に共通する部分をたくさん学んでいきたいものだ。
 
 明日からニュージーランドへと旅立つ前夜にこの原稿を書いているのだが、 こんなに長くスノーボードをやっていても、どんなライディングになるのか、仲間達とどんなセッションが出来るのがとワクワクしてくる。遠足前夜の子供のようだ。
 
 
 相変わらずそんな気分の僕だが、サインに下にはいつも書いている。
 
            そう、気持ちはいつも
 
           「 NO RIDE NO LIFE ! 」
 
 
 
 みんなにも末永く楽しいライディングが続きますように!

                                                                 2008年8月29日