◆ みなさんこんにちは。いかがお過ごしですか?
白馬のスノーボードシーズンは終わりましたが今でも山にはまだ雪が結構残ってるんです。暑かったり寒かっ
たり変な陽気です。4月頭にシーズンを終えた僕は家業のかたわらオフトレに励んでおります。今や筋トレが趣
味となってしまいました。それから川での釣り。この二つがオフの僕の楽しみです。
さて、記念すべき第1回は自称「滑る化石」または「滑るアンモナイト」(笑)の相沢盛夫がお送りいたします。
何しろスノーボード歴26年目を迎えてしまいましたからね。
今回は、たぶんみなさんの知らないはるか昔のお話を・・・・。
スノーボード歴26年って聞くと、その間に1年くらいはやらなかった年があるのでは? と思われがちですが、
それが毎年欠かさずやってきたんですねぇ。しかも、僕はずっと競技畑で活動してきましてスランプも何度も経
験していますが、一度もやめようと思ったことがないんですよね。
こんな風に滑ったらどうだ?ここでこんな技
ができたらカッコよくねぇか?などという発想がいつもムクムクと沸いてくるのです。
ホントにスノーボードが好きなんでしょうね。
スノーボードをしている時が一番自分らしくいられるっていつも思っています。昔の僕を知らない人は相沢盛夫
にアルパインのイメージがあるでしょうが、かつて1回目にプロとして活動していたころはオールラウンダーとして
アルパインとフリースタイルの両方にエントリーしていたんです。キッカーはあまり得意ではなかったですが、HP
は大好きでしたね。
確か20年近く前だと思うのですが、海外でのワールドカップに初めて出場した時、パイプのデカさと斜度にビビ
リまくってとても不甲斐ない演技をして恥ずかしい思いをしたことがあります。
しかもその時のビデオがありまして・・・。
とても人には見せられませんが・・。
そうそうそういえばその大会ではモーグルという種目もありました。結局大雪で本番はキャンセルになりましたけ
ど公開トレーニングはしました。ショーンパーマーたちと一緒に。
SLの予選ではあのピーターバウアーと一緒に滑り軽く流すピーターに3ゲート半離されて屈辱のゴールをしまし
た。その時僕が使っていたボードはSLで190センチ。海外の選手の使用ボードは約160〜170センチだった。スタ
ンスアングルも僕は45度−10度くらい(アルパインです)で、奴らは50度−45度くらい。滑り方もまったく違って
カルチャーショックを覚えた。ホントに。

( 190センチの当時のSLボード )
さらに、さかのぼると僕が始めた頃、ボードメーカーは日本ではバートンかシムスかモスだった。僕はバートン
だったんですが最初はパフォーマーってモデルに乗った。その後バックヒルやバックヤードってモデルも乗った。
バックヤードなんかバインディングのついてないヤツ。デッキ面にゴムが貼ってあるだけで、そこに足を乗せてノ
ーズから引っ張ったひもを持って滑ったね。ソール面も合板で現在のようなソールではなくエッジもない。
そんな時代から考えると今のスノーボードはビックリするほど進化してるね。僕はオガサカのテスターをもう23年
くら、いやっているから特にそう感じる。
僕が始めた頃はソフトブーツもなかったしバインディングにハイバック機能も着いてなかったから、最初スノトレと
呼ばれる運動靴の長いようなヤツを履いてバインディングにはハイバックの変わりになるようなものを取り付けた改
造バインで滑ったんだ。
そのうちスキーのジャンプ用のブーツを使うようになって(元ジャンプ選手なので)ジャンプのブーツにはハイバック
が内蔵されていてね、とても具合良かったんだ。
いやあ〜時代は変わりマテリアルも変わったよね。
でもそれよりもビックリするのが僕がスノーボードをはじめた26年前にはまだ生まれていなかった人たちと今一緒に
滑っていること。現在再び参戦しているプロ戦のDUで対戦する相手が僕の年の半分以下ってこともあるからね。
これはすごいことですよ。いまだ元気で滑れていることに感謝です。
そして僕は26年やってきた中で今が一番うまいと思っています。自分ではいまだにテクニックが進化していると思う
のです。そう考えるとこれからが楽しくなりませんか?
45歳の僕が年々進歩してるんだからみなさんはもっともっと上達するでしょう。
よりすばらしい滑りのイメージを描きながら来シーズンを待ちましょう。ではまた。
2008年6月1日
相 沢 盛 夫

( 25年前の滑り ) ( 初めてのワールドカップHP ) ( 得意としていたジャパンエア )
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